Netch Diary

ドイツへ留学中の高専生Netchのブログ。日記,英語,ドイツ語なり高専なり気ままに書き残していく。

Netchの人生-これでだいたい分かる-

はじめに

こんにちは、

僕の自己紹介の記事に、"かなり特殊な環境で生きてきた"と書きました。具体的にどんな環境で育ったのか知りたい方のために、今日までの僕の人生を軽くまとめておきます。

Netchの人生集 Let's Start

 

 

 

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大まかな人生

1999年10月10日に愛知県で産まれる。

約3600gで誕生。デカすぎんか

幼稚園時代

この頃はガキ大将だったらしい。かなりのワンパク小僧だった。

小学時代

特に周りより秀でた能力もなく、平凡な成績・運動能力であった。

The 平凡な少年であった。

アメリカ時代

小学4年生の時に父親の仕事の関係でアメリカのミシガン州に移り住む。

英語能力0でアメリカ進出を果たした。

3年間で英検2級は取れるくらいのレベルになった。

中学時代

中学校に上がるタイミングで帰国。

 

球技が嫌いだったため、個人競技であった陸上部に入部。

適当な理由で選んだ部活動であったが、指導者や仲間に恵まれ、中学2年生の時に100mで東海大会入賞を果たす。その年に愛知県の国体に向けた強化選手に運よく選んでいただいた。

 

なんだかんだ毎年県大会で入賞はできるレベルであった。しかし、3年生の夏は怪我をしていたため、結果を残すことができなかった。これによって、陸上の実績で高校を選ぶことをやめる。

 

 

何個か理由はあったが、周りとは違う学校ということで豊田高専に進路を決める。

進路を決めた時には豊田高専に行くだけの学力はなかったが、毎日8時間勉強したことで、学力の問題はクリアできた。成績もオール4を少し超えるくらいはあったので、推薦受験も受けることができた。

 

こうして、めでたく2月に豊田高専 機械工学科に推薦受験で受かる

毎日8時間勉強して、推薦か...と少し勉強損だなと思っていた。

 

消去法と"なんかカッコいいな"と思っただけで、機械工学科にした。適当に決めたが、今では正しい学科選びだったと思う。

高専時代

入学前

陸上部の方と連絡取れてたので、春休みから陸上部の練習に参加していた。

他の部活でも春休みから練習に参加している人はいたので、興味があれば連絡をとり早めから参加できるはず。

 

1年時

寮に住む。良くも悪くも全ての概念が変えられた。

寮そして部活で変人だが尊敬できる人たちに会えたので、どちらも入って正解だったと思う。

 

2年生

家が近かったため通生をする。豊田高専では、通学する生徒のことを通生、寮に住む生徒を寮生と呼ぶ。また、1-2年生を低学年。3-5年生を高学年と呼ぶ。

 

春休みにイギリスのダービーに2週間短期留学する。

ほぼ遊びみたいなものだった。しかし、高専外の人たちと知り合えたことは僕の交友関係を広げれたのでよかった。

 

3年生

 やっと専門科目が授業の半分を占めるようになり、機械工学科感が出てきた。

 専門もそこまで難しくはなかった。

 

後期からは、寮の運営に携わった。低学年の面倒を見る班長という役職に就いた。

また、体育委員長という体育イベントをまとめる役職にも就いた。これが中々大変だった。まあ、自分がポンコツだったので上手くできなかっただけだが。

 

4年生

ほとんどの授業が専門になる。

工学実験と機械設計が始まったことで、地獄の日々も始まった。

 

タスクをこなしても減らず、睡眠時間を削って作業する日々だった。

 

夏休みの間に大手工作機械メーカーの2週間インターンシップに参加した。

自分は機械設計を担当した。設計者として働くことに対してはっきりとしたイメージがなかったので、この2週間を経験できたことはとても良かった。

また、高専生以外に大学生や院生も参加していたので、そこで多くの方と知り合えたことも面白かった。

 

現在(2019年 4月)

2018年10月にドイツへ飛び立つ。

豊田高専と協定がある語学学校でドイツ語を学んでいます。この学校を卒業したらドイツの大学に入学できますが、僕は豊田高専を卒業しなければならないため、7月くらいに日本に帰国する予定です。

 

その後の進路はまだ決めていないです。旧帝大への進学か、就職か、はたまたドイツの大学へ進学か。帰国後に決めようと思います。

 

まとめ

さらっとまとめた程度なので

"まだお前のこと何もわかんねぇよ!硬い文章すぎて読みづれぇよ!!"

と、思うかと思います。

  

日本時代→アメリカ時代→中学時代→高専時代(国内・ドイツ)

これらがあることで、今の僕が成り立っています。

それだけでも覚えてもらえたら幸いです。

 これからもブログを書いていくので、これから少しづつ僕のことを理解していただけたらと思います。